< 青山会の歩み > | |||
◆青山会はいつ頃から始まったのかについては、最初は私と加藤君の事務所が近く青山にあり、またほぼ同時期にスタートしたということもあり“昼飯でも食うか”から始まり、夜の“一杯やるか”となり、また同時に1978年(S53)からは2人とも東京同期会の幹事になっていたこともあり、会う機会が多くなっていった。 青山に居たことで「青山会(あおやまかい)」と名前を付け、徐々に仲間が増えて大きくなってきたものです。*(1994年には23名の記録が残っている) おそらく青山会は1982年(S57)~1983年(S58)頃にスタートしたと思われます。 ◆青山会の会場も当初は特に決まった店はなく、加藤君の事務所のあった原宿近辺で、その都度適当な店で集まっていたが、その内3か所ぐらい(藩、軍司、あしどり)に絞られ2002年(H14)の夏ごろまで原宿で続けられた。頻度としては「あしどり」が一番長かったのではないかと思う。その後同年9月から幹事を宇留賀君にお願いして、渋谷の「猿山」へ、そして現在の新宿「季膳房」へと繋がっている。 ◆名称も当初の青山に関連して付けられた「あおやま会」から、1995年(H7)に漢字は変わらないが「せいざん会」へと読みが改められた。*(「せいざん」は“人生至るところに青山あり”から付けられたもの) ◆青山会は単なる“飲み会”にとどまらず、グルメ(ワイン、キャビア、ふぐ、ステーキ等)、テニス、ゴルフ(Guam golf等)、スキー、囲碁、花見など好みに応じて色々な同好会も生まれた。泊りがけでの夜の宴会そして翌日は各自やりたい事をやるというケースもあった。 ◆深志卒業25周年、40周年に開催された「東京フォーラム」も言わばこの青山会がきっかけで企画されたと言ってもよい。とりわけ故丸山一郎君のアドバイス、そして当初からの常連であった故小阪、前田さんのサポートがなければ難しかったのではと思う。 |
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